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Ash-Even if everything turns to ashes

 

© Naomi Iida

Ash-Even if everything turns to ashes

 

 

    Home is indeed an interesting subject. It must be because it is the microcosm of our human relations. Children quietly begin to learn how to cope with their loneliness. Married couple will hopefully deepen their understanding of each other and the love they share with the long lapse of time.

 

    Even if we enumerate words like jealousy, hate and trust, the objects of emotions lose its substance. What hold realities are eating, sleeping and the figure of a cautious-free mind. What fills the gaps within the family is a so called breathable distance.  Even if everything turns to ashes, I pray the same breath of air will stay filled between you and your loved ones. 

 

 

Ash(アッシュ)〜すべてが灰になっても〜

 

 家庭は面白いものだ。人間の生のありようが凝縮されているからだろう。

 子供たちは1日経てば顔つきまで変わる変化の激しい思春期を迎え、夫婦は長い時間をかけて他者と他者への愛について理解し、おそらく互いに灰になるまで伴走していく(と信じたい)。

 実際のところは家庭を維持していくことは簡単ではない。男女の間の気持ちのすれ違いは若い頃の想像をはるかにこえたものだったし、さまざまな局面で嫉妬が顔をのぞかせるもする。互いへの譲れない最後の一線での労りや協力(例えば妊娠・出産時や病の時に象徴されるような)がなければ、そもそも簡単に壊れてしまうほど繊細な関係でもあるようにも思う。

 やがて、私たちの間に生まれた子供たちの存在が家庭の中心を占め、親となった私たちは生々しい感情とバランスをとりながら、子育てに全身全霊を尽くすことになる。夜泣きで明け方を迎えて出勤しなければならないとき、雨のなか子供たちを抱き抱え保育園への送り迎えをするとき、あるいは頻繁な子供の入院といった、疲労困憊してしまう状況には親のほうが泣きたくなった。それでも互いに親であろうとする覚悟を手探りで確かめ支え合いながら、これらの日々を乗り切ってきた。私たちにとって授かった子供に障害があったとしても、日々の成長を待ち望み、喜び、共有することに変わりはない。なぜなら、子供たちから注がれる愛情は、親の側の事情に関わりなく無条件かつ無制限で、奇跡のような幸福をもたらすことを知ったからだ。

 そうした奇跡のような経験によって家族の歴史は綴られてきた。いまでは互いに踏み込んではいけない場所があることもわかっている。それでも、粗末なりに手をかけた料理を美味しいねと言い合って食べ、笑い、時に怒り、むかつき、それでも夜になればいびき歯ぎしりがあろうとも手の届くところで熟睡するのである。そんな家族の現在に満ちているのは、呼吸する距離とも言うべきものではないだろうか。

 やがて私のすべてが灰になっても、緩やかに結び合う息づかいだけは確かなものだとあなたに伝えたいと強く思う。  *Only the extract is published. (抜粋)

© Naomi Iida
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